宗教法人全国キリスト教伝道会  R.E.A.P. mission inc.

Reinforcing Evangelists and Aiding Pastors

I sent you to reap that for which you have not labored...and you have entered their labors. (John 4:38)

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「マッカサー宣教師」から「マクドナルド宣教師」へ From “MacArthur Missionaries” to “McDonald Missionaries” パート1 By:ケニー・ジョセフ

―戦後日本の福音派クリスチャンの働きの60年―

  私に、戦後60年の日本宣教の目撃者として、その記録を書くよう頼み続けていたのは「マッカサー宣教師達」であった。私は「私に頼まないで、歴史を作った人々に、その歴史を書くよう頼みなさい。」と言い続け、5年間この事で闘った。

  しかし、彼らは言った、「彼らが引退する前に、一人づつ頼まなければならない。」1947年―51年の間、マッカサーの呼びかけで来日した5,000名の宣教師の内、今はたった20名が残っているだけである。

  しかしながら、私は、「長期滞在」の宣教師と話すまで、「ジョージに頼んで下さい。」と言い続けた。私が彼に、1955年の日本のリバイバルについて知っている事を尋ねると、「富山での事ですか?」と言った。

  私は、「いいえ、それは残光であり、逸脱ですよ。」と言った。しばしば神が教会を建てる時、サタンは隣にテントを設置するのである。

  彼は、真のリバイバルがあったと聞いて驚いているようでした。それで、私を切羽詰った思いになって言った。「OK,“私の目で見た事、私の耳で聞いた事、私の手で感じた事”を要約して書いてみましょう。」

  それで私は、戦後が始まって、全国で繰り広げられている超教派の30のミニストリーのリストを作成した。各教派や宣教団体は、名称、場所、そして年月を記して、各自興味ある歴史的な出来事を書いた。私は、広範囲に及ぶ大まかな事柄を書き始める事を決めた。それは、客観的、歴史的、そして距離のある話ではなく、部分的には個人的で、私自身のもので、私が知っている有利な点のみからで、疑いもない偏見に見えるものである。

これは、私が見て聞いたものである。

パート1

戦後ミニストリーの波

第二次世界大戦の前と期間中、大きな叫び声は、「宣教師、家に帰れ! 俺達が八紘一宇(大きな神道の屋根の下にある全アジア)の下、アジアに平和と共栄をもたらそうとしているのに、お前達は我々に恥を掻かせる。」という事だった。ですから、10人の宣教師以外は全員帰国した。ドイツ人とイタリア人は、軟禁状態で滞在する事が出来た。そしてとうとう、真珠湾で始まった事は、広島で終わった。それから、1945年の初め、追放された宣教師達は、少しづつ帰って来た。そして、不変のミニストリーの波が、戦後の日本中を流れ始めた。

1946

戦後最初の波はこう叫んだ。「5年間分の十分な食料を持ってきてくれ!」

1947

次の波はこう呼び求めた。「土地を買え、土地を買え!」ある土地は坪3円(1セント)だった。そして、ある土地は、60円(20セント)だった。高額では坪3,000円(9ドル)だったのである。「教会がなくても、土地を買え。」主流教会はこれに聞き従った。他の教会、特に南部バプテストも同様だった。しかし、ほとんどの福音派の教会は躊躇した。結局、宣教師は月125ドルで生活する事が出来た。「誰が土地を必要としているんだ?とにかく、イエス様は1952年に戻って来られるんだ。ただ借りなさい。私達は、多額のお金を失った。」と、CIM(チャイナ・インランド・ミッション/中国奥地宣教団)は言った。

1951

中国が共産国になり、2,000名の宣教師を国外追放した時、「Comity」(一緒にこれを解決しよう)という波が訪れた。「ただ土地を買うだけでなく、宣教師達の中国への伝道が重ならないよう、このcomity計画のために土地を分けよう。」と言って、多くの宣教師達が来日した。こうして、ルーテル兄弟団が秋田県を担当し、CBFMS(保守バプテスト海外宣教協会)が仙台を、そし、てCIMが北海道をという風に担当していった。

1952

次の大きな波は、「土地を買うのはもういいです。人々の魂を勝ち取りなさい。大衆伝道、伝道しなさい、そうでなければ化石化してしまう!」大規模なYFCYouth for Christ- 若者をキリストへ)、PTLPocket Testament League/ポケット版新約聖書協会)、OMSOriental Missionary Society/東洋宣教会)、救霊クルセード、そして33,000人決断のキャンペーン。

1953

さて、古い考えが起こり「フォローアップ、フォーローアップ! 土地購入に熱心に走り回るな、ただフォーローアップをしなさい。」ナビゲーターは、YFC事務所で共にフォーローアップを行なった。いのちのことば社、家庭文書協会、エマオ、保守バプテスト、そして他の団体も無料の聖書通信講座を始めた。

1954

次の大きな波は、「現地人の原則に」という叫びだった。「日本人が働きを担うよう訓練しよう。宣教師は牧師になるな。彼らが韓国で行なった母斑方式と3つの自己プログラム(自己サポート、自己伝達、自己教授)を用いて、ただ日本人を訓練しなさい。」

1955

次にリバイバルの波がやって来た。神様は、真に主権あるリバイバルを日本に送られた。ほとんどは宣教師達に、また彼らを通してリバイバルを送られた。リバイバル・チームは、小さなリバイバル祈り会を開きながら国中を回った。それは、日本人に注がれ始めた。ある人々は受け入れ、ある人々は拒んだ。あるグループは「それをビンに詰め込み、そのラベルを付けて売る。」という様なパッケージにしようとした。すると、穏やかな聖霊は飛び去って行った。

1956

次は「富山」現象であった。それは、一人の宣教師が同僚に言った言葉は「あなたは十分に種を蒔いたが刈り取りは少ないです。それで私達を見なさい。私達は少し蒔いて多くを刈り取ります。」それで彼らは、他の20人と共に、彼らが属する宣教団体を離れて富山に行った。そこには真の神の働きがあったが、熱心さがなく技量に欠けたリーダーシップで、それは萎えていった。ほとんどの宣教師は、気落ちして母国に帰国して行った。2人が残った。

1957

次の波は、「実を維持し訓練する。」であった。各地に小さな聖書学校やバイブル・キャンプが出来た。いくつかは爆発的になっていった。多くは拡大し、いくつかは後に合併した。

1959

次に起こった波は、「教会開拓」であった。もしあなたが「教会開拓」宣教師でなければ取るに足りない者であった。それで、伝道的なミニストリーの必要を専門としている「パラ・ミッション」は、後ろ向きに偏っていった。

1960

「生涯宣教師となる人が極少ない」ことへの解決は、「短期の働き人」である。それは、次の波となった。多くの人々が来ては去っていった。日本の牧師達はこう言って嘆く。「私達がやっと宣教師達と知り合いになった頃に、彼らは去っていく。」しかし、このグループの良き男性や女性達は居残って働きを続けていった。

1962

最新かつ最も古い波は、「英語を教えよ、英語を教えよ。彼らは福音を聞くためには来ない。英語を学ぶために来るので、そこで英語を教える事が出来る。そして、救うために「キャプテン英語(スーパーマンのような)」というような人々が飛び回る。これが落とし穴になる可能性にも拘らず、何千人という人々がこの方法によって福音を聞いた。(有名な日本の大衆伝道者である本田弘慈師は、クッキー、紅茶、そして英語という順序で来て、ついにキリストを見出した!)

1966

「どういう訳か当惑する。」「S.O.S.- Same Old Stuff- 同じ古い事柄」が、「宣教で新しい事は何か?」に対する答えである。

1987

「キリスト教結婚式が強さと視界を得るようになった。ある人々は、これをお金を得るためのクリスチャンの「不正な金儲け」と感じている。一方で、他の人々は「予備伝道」への門戸として見ている。毎回80から100人の救われていない人々が、結婚式に出席する。(クリスチャン結婚式のチャペルに来る前には、一度も教会に言った事の無い人々である。)毎年、何万人という人々が、結婚式に話される最低限の福音を聞くのである。新郎新婦や他の出席者には、聖書やトラクトが配られる。式全体とメッセージがビデオテープに撮られ、その後何年にも亘って、多くの友達に見せられるのである。

1988

別の新しい波は、「テント・メーキング(天幕作り)」をしながら伝道する人々である。

これらセルフ・サポートをし、イエスのために自分自身の出費で行なう無所属の宣教師達である。これは(彼のグループを精査し、独立したコースを発起する個々)家畜のオーナーで、自分の家畜に焼印を押さない、テキサスの無所属のS.A.氏が断固とした希望を持つ後である。しかし、午前7時から午後7時までの仕事と通勤、夕食、TV, そして睡眠に誘われる。それでも日曜日がある。彼らは、牧師達が扱いきれない人々に手を差し伸べるのである。

過去60年間に亘って、長期の宣教師達はこれらの出来事を見てきた。そして他の波が来ては去って行った。私達は、日本において、聖霊が多くの方法、人々、そして手段を用いられたのを認識する。それぞれが、インパクトをもたらした。-ある事柄は他の事柄よりもなお多く。ただ永遠のみが、最後の結果を現すであろう。神は、大いなる収穫を計画するのでなければ、決して大いなる種蒔きを命じられない!

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