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Reinforcing Evangelists and Aiding Pastors

I sent you to reap that for which you have not labored...and you have entered their labors. (John 4:38)

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「キルロイはここにいた」(Kilroy was here)

マッカーサーによる宣教師たち 第4  (MacArthur Missionaries) Part 4

あなたは、キルロイのジョーク(何でも見たり聞いたり経験した事があるという意味)を覚えている程の年長者ですか?もしそうでなければ、あなたは新参者です。もしそうであるなら、グルに会うために山の頂に行くように、人が行った事のある所はどこでも「キルロイはここにいた」という痕跡があるのです。どんな兵士が行った所はどこでも、キルロイは行った事があるのです。これは、皆によく知られたTEAMの宣教師であり、また新生宣教会の創設者でもあるフレッド・ジャービス博士の署名でもあるのです。

ジャービス博士と彼の妻クララ(彼らの間で3つの博士号を取得)は、共産主義者によって中国から追い出された他の何千という宣教師たちと共に日本に来ました。彼は日本語を学んだ事がなく、彼の2つの言語の「偉業」を覚えています。

ユース・フォー・クライスト(YFC)に貸付しているTEAMの宣教師として、彼がYFCのオフィスに来て、そこの働き人たちに、電気の節約のために電気を消すよう言っていたのを思い出します。「だめ、だめ。電気、たくさんあります。」私がその本当の意味を通訳している間、彼はこれを繰り返して言っていました。

もう一つは、彼が日本キリスト教学園(JCC)のピクニックに遅れた時の事です。彼は、生徒達が彼の昼食を心配して欲しくなく、こう言いました。「大丈夫。私は私の“オベンジョウ”(お弁当を意味して言った)をこの腕に抱えて持っています!」

ジャービス博士はまた、戦後の日本の最も多く執筆し、そしてごちゃ混ぜな宣教師でもありました。良い意味においてです。ごちゃ混ぜとは、たくさんのプロジェクトをこなし、それを他の人々に託していくという事です。 何のプロジェクトですか?

彼は、日本キリスト教学園を始められ、それはTEAMの同盟聖書学校と合併し、JCCの学園長としてドナルド・E. ホーク博士を任命しました。(彼は私とライラの結婚式を挙げて下さった方で、数ヶ月前87歳で天に召されました。)

私が日本に来るに際して、多くの質問を書いて手紙を出しました。彼は、私が来るよう強く励ましてくれました。「ドアはただ開いているだけではない。ちょうつがいが外れている。」と返答したのです。

彼と私は、マッカサー元帥の言葉を用いて高校に入って行き、何百人もの学生に純粋な福音を説教しました。その効果ある言葉はこう言っていました。「日本は民主主義に変わって行っています。キリスト教に埋め込まれている聖書に基づいた基盤無しには、民主主義を理解する事は決して出来ません。ですから、日本再生のためこの両方を日本中に広めるため、明確な命令を下します。もし私達が肉なる者を救うべきなら、それは御霊によらなければなりません。」全ての言葉使いと高校の教科書は検閲され、天皇崇拝はその教義である「八紘一宇」(世界全て8つの角は天皇裕仁の下にあるという意味)と共に締め出しました。

ジャービス博士は、中国時代の仲間でありベテランであるJSSU(日本日曜学校助成協会)のエド・フィッチに、ムーディー・プレスの聖書絵物語を再刊するように依頼しました。それから、彼は、ジム・ノートンが長野の全ての高校に行って、聖書物語の本を学校の図書室に置くよう校長に贈呈するため、彼に油注ぎました。ジムは長野の全ての学校に行き、放課後に学校の外で説教しました。

私が103名の日本人信徒と共に、戦後最初の学びと謝罪の伝道グループとして韓国に行った時、勿論ジャービスはすでにそこに行ったことがあり、キリスト教のラジオ局を始める助けをしたのでした!

日本に帰って来ると、彼はPOBC(パシフィック・オリエント・ブロードキャスティング・カンパニー)を始めるに際して、FEGC(現在のセンド)の宣教師ハーディ・ヘイズとTEAMのアート・シーリイ、ローレン・マコールと共に、その活動分野のを陰で支えました。

彼は、ブルドーザーのようで、真っ直ぐ突き進み、とても直接的で一途な人でした。彼は何でも違いの判る頭の良い人でしたが、礼儀正しい人でもありました。彼はこれら全てを言葉によってしたのではなく、どこに行くにも通訳者に頼っていた事を思い出してください。彼はまた、2ヶ国語によるラジオ局をも持っていました。

ジャービス博士は、日本語を話さない別の宣教師ドン・マカルパインがビッグ・モーニング・グローリー教会を始める時にも助けました。

私達が彼を夕食に招待した時の事を、ライラは覚えています。その夜遅く、彼は自分が作った詩を、ライラにタイプライターでタイプしてもらいました。彼の「Crime of the Century」(世紀の犯罪)という宣教記事は、何回も増刷されました。

リバイバル(Revival)

日本に、本当にリバイバルがあっただろうか? 彼は、国会議事堂の目の前にあった東京GIチャペル・センターで、宣教師たちの為の木曜祈祷会を始める陰の支えとなりました。毎週木曜日、東京の宣教師たちは、午前6:30−7:00までTEAMの会計係ビック・スプリンガーが導く祈りに集まりました。そして、7:30にトーストとコーヒー、証の時間が持たれました。8:00−8:30はゲスト・スピーカーが話しました。私は、杉並区からのケン・マクビティと共に車に乗り、45分で着きました。当時は、余り車が走っていなかったからです。

これは、軽井沢と東京のTEAMセンター日本語学校でリバイバルが起こる以前のことでした。このリバイバルは、ジャービス博士によって全国に広まり、このグループのニックネームが「清められたらい病人たち」とつけられました。彼はチームを編成し、北や南に行って宣教師たちの間にリバイバルを広めました。彼らは招かれずして出て行き、祈り会などに入り込みました。チームは、彼らを清水や静岡の私達の祈り会に招きました。チームは、どのように神が彼らをリバイブして下さったかの証をし、そして皆円になって座り、真ん中に椅子を置き、一人一人宣教師たちが出て

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